2011.07.21[木] 東京多坂
お茶の水で下車し、神田明神から湯島天神へ向かう道は緩やかな長い坂道でした。
神戸も坂の多い街、坂が珍しいわけではありませんが、神戸の坂道はほとんどが山から海岸への単純な地形。東京のようにアップダウンが多く畝る道路は、とても不思議に感じます。
こちらは実盛坂。かなり急な勾配です。
文京区教育委員会の標識に説明がありました。
端折ると
武蔵国の武将実盛は平家方に味方し、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原の合戦で戦い、手塚太郎光盛に討たれたが、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。
この心意気から、塚や井戸の伝説が多く残っているようです。
湯島天神、表鳥居。銅製の鳥居は寛文7年(1667年)に寄贈されたものだそうです。
境内は梅園があり静かな佇まい。
本殿を抜けて進むとそこには長い階段が。階段なのに夫婦坂。
入った鳥居からは想像もできませんでしたが、湯島天神は丘の上に建っていたのです。
お上りさん二人組は、階段の上で感動の思わず声が出てしまいました(笑)
こちらの天神さんにも
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
菅原道真の和歌にあるように梅の紋が使われ、天神のお使い「臥牛」の像がありました。あらあら、前足を格納して座っているのは・・・
誰かに似てるんだけど
えーと
えーと
・・・
あっ 角じゃなくて耳だったわ~
がははっ!
明日も東京です^^
☆~応援、ありがとうございます~☆
ムサシの演技に、ポチッとお願いしますヽ(´ー`)ノ
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神戸も坂の多い街、坂が珍しいわけではありませんが、神戸の坂道はほとんどが山から海岸への単純な地形。東京のようにアップダウンが多く畝る道路は、とても不思議に感じます。
こちらは実盛坂。かなり急な勾配です。
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端折ると
武蔵国の武将実盛は平家方に味方し、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原の合戦で戦い、手塚太郎光盛に討たれたが、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。
この心意気から、塚や井戸の伝説が多く残っているようです。
湯島天神、表鳥居。銅製の鳥居は寛文7年(1667年)に寄贈されたものだそうです。
境内は梅園があり静かな佇まい。
本殿を抜けて進むとそこには長い階段が。階段なのに夫婦坂。
入った鳥居からは想像もできませんでしたが、湯島天神は丘の上に建っていたのです。
お上りさん二人組は、階段の上で感動の思わず声が出てしまいました(笑)
こちらの天神さんにも
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
菅原道真の和歌にあるように梅の紋が使われ、天神のお使い「臥牛」の像がありました。あらあら、前足を格納して座っているのは・・・
誰かに似てるんだけど
えーと
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・・・
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